性的不能者の夫と生きていく/「水入らず」J.P.サルトル

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「水いらず」ってどんな作品?

主人公リュリュは,性的不能者の夫アンリーと愛人ピエールの間で気持ちが揺れ動く.実存する肉体に特殊な感性を抱くリュリュが最後に選択するのはどちらか.明日も生きねばならない自由の中で縋るものを見つけ出す,,,現代における生き方を一つの選択肢として提示したサルトルによる戦前の一作.

サルトル『水いらず』における受動的自我の獲得

『水いらず』(原題:L’Enfance d’un chef)は、ジャン=ポール・サルトルが1939年に発表した短編小説です。短編集『壁』に収められており、戦前フランスのブルジョワ社会を舞台に、若者リュシアン・フルジ(以下,「リュリュ」と表記)を主人公に据えています。本稿では、リュリュと性的不能者の夫アンリとの関係性を中心に、自我の生成過程を「受動性」という観点から読み解きます。

あらすじと主要登場人物

リュリュは裕福な家庭に育ちながら、自分の居場所を見いだせずにいます。学校では特定の価値観や序列に馴染めず、家では母親の期待や友人の眼差しに息苦しさを感じています。
ある日、彼女は同じブルジョワ階級に属するアンリと結婚しますが、アンリには性的不能という秘密がありました。物語中盤、二人は別居の危機に直面します。しかしアンリの元を離れかけたリュリュは、義務感や「私が必要だ」という使命感、そしてわずかな依存心に抗しきれず、もう一度彼のもとへ戻る決意を固めます。

リュリュの受動的自我とは何か

リュリュが見せる自我は、能動的に何かを選択し、行動を起こすタイプのものではありません。むしろ周囲の期待や常識、そしてアンリへの義務感に突き動かされています。

  • 義務感:妻としての役割を「果たさねばならない」と感じる
  • 使命感:「アンリが私を必要としている」という思い込みに縛られる
  • 依存心:離れてしまうことへの不安が、彼女を引き留める力となる

これらはいずれも主体的な意志よりも他者や状況による“引力”によって生まれている点で「受動的」と言えます。

サルトル実存主義との関連

サルトルが提唱する実存主義では、人間は自らの行為によって自己を定義し、自由と責任を引き受ける存在とされます。しかしリュリュの場合、むしろ「周囲が私を定義する」構造に囚われています。

  • 自由の放棄:自らの望みを明確にせず、アンリのために行動を制限する
  • 責任回避:「どうせ私はこうするしかない」と受動的に結論づける
  • 他者による自己像:母親や友人、アンリからの視線によって揺れ動くアイデンティティ

こうした抵抗できない力学を通じて、サルトルは逆説的に「自我とは何か」「真の自由とは何か」を問いかけています。

依存と自立の狭間で揺れる心理

リュリュはアンリへの依存を感じながらも、自立したいという微かな衝動を抱えています。これは多くの人間が日常で経験する「依存と自立の狭間」に他なりません。

  1. 他者依存の形:愛情や義務感が切迫した絆を生む
  2. 自我芽生えの契機:別離の危機を通じて「私は何者か」を意識し始める
  3. 受動性からの脱却:最終的に行動を選ぶ瞬間が、弱いながらも自我の獲得を示す

こうした構図は、私たち自身の日常にも重ね合わせることができます。

おわりに

『水いらず』は短い物語ながら、自己定義のあり方や他者との関係性を深く照射します。リュリュの受動的自我は一見「弱さ」に映りますが、その中でこそ自由と責任という本質的な問いが鮮やかに浮かび上がるのです。

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